中村涼庵旧宅・牛鼻山 【幕末の医師 中村涼庵】 19歳の頃に長崎でシーボルトの最新医学や蘭学を学び、天保2年(1831年)23歳の時に武雄に戻り開業、時の領主鍋島茂義の侍医となった。 天保10年(1839年)自身の姪と茂義の子茂昌に、日本最初の牛痘法による種痘の接種を行い成功した。武雄の西洋医学の開祖とされている。 【牛鼻山】 新町の東寄り一帯を昔は牛鼻山と呼んでいた。平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、当時の領主に頼まれて有田町の白川に出没する大蛇を退治した。 大蛇のうろこが牛の背に積まれ、太宰府に行くために武雄を通ったが、新町の西の入口まで来ると牛が鼻をついて動かなくなったという。以後、この町は牛の鼻山と呼ばれ、明治になってから新町と呼ばれた。善念寺の山号は「牛鼻山」という。 住所 〒843 -0022 武雄市武雄町新町 電話番号 - ホームページ - 営業時間 ー その他情報 備考
【幕末の医師 中村涼庵】
19歳の頃に長崎でシーボルトの最新医学や蘭学を学び、天保2年(1831年)23歳の時に武雄に戻り開業、時の領主鍋島茂義の侍医となった。
天保10年(1839年)自身の姪と茂義の子茂昌に、日本最初の牛痘法による種痘の接種を行い成功した。武雄の西洋医学の開祖とされている。
【牛鼻山】
新町の東寄り一帯を昔は牛鼻山と呼んでいた。平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、当時の領主に頼まれて有田町の白川に出没する大蛇を退治した。
大蛇のうろこが牛の背に積まれ、太宰府に行くために武雄を通ったが、新町の西の入口まで来ると牛が鼻をついて動かなくなったという。以後、この町は牛の鼻山と呼ばれ、明治になってから新町と呼ばれた。善念寺の山号は「牛鼻山」という。